2013年



ーー−4/2−ーー プレゼントに貰ったテレビ


 
2月の末頃、長女から還暦祝いのプレゼントとして、何か希望の品があるかと言われた。いろいろ考えた挙句、テレビを貰うことにした。長女夫妻と、長男がお金を出し合って買ってくれることになった。まだ学生の次女は、慢性金欠病。わずかな金額で加わるのは気が引けたようなので、別途手頃な金額の魔法瓶をリクエストした。

 今なぜテレビなのか。一昨年の7月、地デジへ移行した際に、滑り込みで地デジテレビを買った。新しいテレビを買ったのは、20年ぶりくらいであった。良く検討しないで買ったので、手に入れたのは19型だった。画面は、パソコンのディスプレイほどの大きさである。「パソコンが二台あるのですか?」と来客に聞かれることもあった。

 不思議なもので、当初は気にならなかったサイズに、だんだん不満を感じるようになった。昨シーズンの冬から、生活スタイルを変え、自宅の中央にある大きな部屋を、日常のダイニングとして使うようになった。それで、テレビとの距離が長くなった。それがますます不満に拍車をかけたようである。

 以前は、六畳サイズの部屋をダイニングにしていた。子供がいたころは、家族5人がひしめき合うような形で、狭いテーブルで食事をした。テレビはすぐ目の前にあった。そのテレビは14型だったが、不自由は無かった。もっとも、子供がいた頃は、ほとんどテレビを見なかったた。夕食時にテレビをつけることは、一切なかった。時計代わりに、朝のニュースを見るくらいだった。

 子供たちが出て行って、夫婦二人きりになると、次第にテレビが重要な地位を占めるようになった。地デジ化してからは、録画操作が格段に便利になったので、テレビに向かう時間が圧倒的に増えた。朝も昼も晩も、つまり仕事場に居る時間以外は、テレビを見る。仕事場に行かない家内は、それこそ一日中テレビを見ているのではあるまいか。加齢による子供返りという現象があるそうだが、夫婦揃って、まさにテレビっ子になってしまったのである。

 プレゼントの希望を聞かれても、なかなか思い付かなかった。自宅で仕事をしており、外へ出る機会も少ない、地味な生活である。オシャレなどには縁が無い。そもそも欲望が希薄な性格なのだ。それでもあれこれ考えた挙句、たどり着いたのが大型テレビだった。テレビなら、それこそ毎日楽しめる。また、私一人ではなく、家内も一緒に楽しむ事ができる。無事に還暦を迎えられたのも、家内のおかげだと考えれば、これはピッタリの品物だ。子供が年老いた親に贈るプレゼントとして、テレビほど相応しい物は無いかも知れない。

 大型と言っても、32型であるから、一般的なサイズである。それでも、これまでの19型と比べると、格段に立派な代物であった。画面が大きくなれば、画像が不鮮明になると思いきや、そんな事は全く無い。自然の景色の映像など、息をのむような迫力である。ドラマを観れば、俳優の顔が大きい。そのため、表情がはっきりと伝わってくる。プロの演技の凄さに、改めて気が付いたりした。

 まことに嬉しいプレゼントを頂いた。このことをSNSの記事にアップした。すると常連の読者から、こんなコメントを貰った

 「新しいテレビ、嬉しいですね。しかし番組がねェ〜」




ーーー4/9−−− 裏山のミステリー


 春休みに帰省した次女と、裏山に登った。山道を歩きながら、昨シーズンの裏山での出来事を話した。「ここがその人が寝転がっていた場所だよ」と私は道端の小高くなった場所を指差した。ちょっとしたミステリーの舞台となった場所である。

 昨年の10月中旬のある日、いつものように裏山に行った。登山口に自転車が一台停まっていた。主婦が買い物に使うような自転車である。ここに自転車が停めてあるのは、珍しい事である。しかし、特に気にもしなかった。

 中腹まで登ると、一人の男と出会った。私が歩いてくる気配を感じたのだろう。道をゆずる形で、道から少し離れた場所に立っていた。そして、こちらに背を向けていた。ちょっと感じが悪かった。裏山で見知らぬ人と会うことは滅多に無いが、会えば会釈ぐらいはするものだ。まあ、人によっては、場所がどこであろうとも、他人と顔を会わせたくない人もいるのだろう。

 二日後にまた登りに行った。登山口にはまたあの自転車があった。そして、道の途中で、あの男と出会った。前回と同じように、後ろを向いて立っていた。トレッキングシューズのような靴をはき、小さ目のザックを背負っていた。顔は見えなかったが、雰囲気からして30代の年齢のようだった。声をかける気もしなかったので、そのまま通り過ぎた。

 裏山に妙な常連ができたようで、私はちょっと気が重くなった。

 数日後に行くと、また同じ場所に自転車があった。例の男が山に入っているのが察せられた。登って行ってもすれ違わなかった。ところが、頂上まであとわずかの地点で、道端に寝転がっている人がいた。膝を立てて、仰向けに寝ていた。傍らにザックがあった。明らかに例の男であった。こんな所で何をしているのだろう?、と思えるような場所である。しかし、わざわざ声を掛ける理由も無いので、そのまま通り過ぎた。頂上から折り返して来ると、その男は同じ姿勢で横になったままだった。

 森の中で思索にふけるのが好きな人なのだろうか。それにしても、もう少し相応しい場所を選んだらどうかと思った。こちらにしてみれば、毎回ギョッとさせられて、心中穏やかざるものがある。

 翌日も裏山に登った。初夏から秋の終わりまで、県道中房線のゲートが開いている時期は、一日おきの頻度で登ることを目標にしている。たまに二日続けて登ることもある。この日、なぜ連続で登る気になったのか。例の男の挙動が気にかかったからかも知れない。

 男は前日と同じ場所に、同じような格好で転がっていた。立ち止って見はしなかったが、一瞥した印象で、ちょっと不安を感じた。全く動かないし、反応も無いのである。生きているのだろうか?、という気がした。とは言うものの、「大丈夫ですか?」などと声を掛けるのもためらわれた。明らかに世捨て人的な態度の男である。迂闊に声を掛けられない不気味さがあった。

 登山口には、自転車があった。いつからそこに停まっているのかと思った。数時間前か、それとも昨日からか。そして、いつまで置いておかれるのだろう。ひょっとして、この自転車は、二度と持ち主によって移動することが無いのではなかろうか。そう思うと、胸騒ぎがした。

 そこで、一計を案じた。近くの藪から笹の葉を取ってきて、自転車のタイヤの下に挟んだのである。明日またこの場に自転車があったとしても、笹が無くなっていれば、一度動かして、また来て停めたことになる。笹が挟まったままだったら、動かされなかったことの証明になる。周囲に、自然に落ちた笹の葉は無い。

 翌日は、いつもより早く、午前中に裏山へ向かった。目的はもはや、登ることではない。登山口に自転車が無ければ良いと思った。しかし、自転車はあった。近づいて、タイヤを見た。タイヤの下の笹は、昨日のままだった。私は、血の気が引く思いがした。

 山に入り、いつもの道を登り始めた。自転車は夜通しあの場所に置かれていたのだ。持ち主は、山の中で一夜を明かしたことになる。あの場所だ。あそこに寝転がって、夜を過ごしたのだ。時期は10月も半ばを過ぎている。山の夜は冷える。あの小さなザックに、ちゃんとした防寒具が入っていたのだろうか。水や食べ物はあったのだろうか。それどころか、昨日からではなく、もっと前から、あの場所に横たわっていた可能性もある。となると、あの場所で自らの命を絶ったことも考えられる。これは一大事だ。

 現場に着いたら、どうすれば良いのか。離れた場所から声を掛ける。反応が無ければ、近くに寄って声を掛ける。体を揺すってみる。それでも動かなければ、顔を触ってみる。脈を取ってみる。そんな事が、自分にできるだろうか。普段は持参しないケータイを、今日は持って来ている。いざという場合に通報するためだ。まず警察か、いや救急車だろう。現場の説明を、どのようにしたら良いだろう。登山口の場所を説明して、私が登山口まで降りて待ち受けようか。そんな事が頭の中でグルグル回った。

 だんだん高度を上げるにつれて、緊張が高まってきた。山中で遺体の発見者になる。そんな事があって良いのか?。なんでこんな事になってしまったのか。いたたまれない気がしながら、登って行った。

 ふと気が付くと、前から人が降りてくる。近づくと、道から外れて背を向けた。あの男だった。私は緊張の糸が切れ、全身の力が抜けたように感じた。その反動か、ちょっと腹立たしい気持ちになった。いったい何だろうこの人は、と。




ーーー4/16−−− いんじゃね鳥の正体


 自宅の周りで「ユータチョコレートホシイ」と鳴く鳥がいる。ちなみにユータとは、我が家の長男の名前である。この声の主は、イカルという名の鳥である。どのような経緯で、この鳥の名をつきとめたかは、覚えていない。誰かから教わったのか、それとも、ネットで調べて、たまたま行き当たったのか。ともあれ、鳴き声を元にして、それを発する鳥を調べるというのは、容易な事ではない。

 春になると、「イイんじゃね」と鳴く鳥が現れる。現代の若者のせりふのような鳴き声である。我が家では「いんじゃね鳥」と呼んでいた。この声を発する鳥が何であるか、時々家の中で話題になった。ネットで調べようとしたこともあった。ところが、上に述べたように、簡単ではない。鳥の名前が分かっていれば、その鳴き声を聞くことはできる。そのようなサイトはいくらでもある。ところが、逆に鳴き声から入ろうとしても、手段が無い。片っ端から鳥の鳴き声を聞いても、なかなかお目当てに辿りつけるものではない。

 つい最近になって、聞きなしのサイトを見つけた。聞きなしとは、鳥の鳴き声を人間の言葉に置き換えたものである。ウグイスの「ほーほけきょ」、ホトトギスの「てっぺんかけたか」などがそうである。そのリストの中に「ちょっと来い」というのがあった。コジュケイという名の鳥である。それが、「イイんじゃね」に近いと感じた。日本語の意味としては全く似ていないが、音節が二つであり、音の数も同じなので、近いと感じたのである。

 ターゲットが定まれば、その鳴き声を聞いて確認するのは簡単だ。いくつかのサイトで、コジュケイの鳴き声を聞いてみた。多少の個体差はあるが、まず間違いなく当たりだと思われた。

 自然を感じ、親しみ、理解しようとする手段はいろいろあるが、鳥の鳴き声の聞きなしも、その一つと言えよう。録音機材など無かった時代の、先人の知恵である。今回はその聞きなしに助けられた。

 ちなみに、冒頭で述べたイカル。その聞きなしは、「お菊二十四」だそうである。




ーーー4/23−−− 自転車旅行の思い出 


 庭のサクラが咲き出した。我が家のサクラは二種類あり、ヤマザクラが二本と、オオヤマザクラが一本。いずれも花期が遅く、周りのソメイヨシノが散り終わった頃に花を開く。

 サクラと言えば、大学生の頃、春休みに自転車で京都まで行ったことがあった。名目は嵐山のサクラを見に行くということだったが、実際はなにか冒険じみたことがしたかったのだろう。

 自宅があった国分寺から南下し、東海道を西に向かった。記憶に残っている最初の泊まり場は、浜名湖のユースホステルである。東京から一日でそこまで行くのは難しいから、その前にどこかで泊まっていたと思うが、覚えていない。そのユースホステルは、かなり立派な設備を有していた。特に、壁一面に大小のスピーカーが埋め込まれた大広間は圧巻だった。夕食後のひと時、その部屋で荘厳な音楽を聴きながら、初対面の同年代の男女と語らった。

 翌朝自転車を引いて玄関まで来たら、若い女性たちが、「えーっ、自転車で来てるんですか! どこまで行くんですか?」と聞いてきた。私は「京都まで、嵐山のサクラを見にね」と答えた。このせりふ、バッチリ決まったと思ったが、私のひとりよがりだったか。

 翌日は、名古屋の明治村の駐車場で野宿をした。そして京都に入り、嵯峨野のユースホステルに泊まった。そこには二泊したと思う。

 その頃になると、自転車のサドルの鋲でこすれて、Gパンのお尻が小さく破れていた。ユースの娯楽室で、卓球をして遊んでいたら、それに気が付いた娘さんがいた。そして部屋の隅に私を呼んで、「ズボンが破けてますけど・・・」と言い出した。私は縫って直してくれるのかと思った。ところが「裁縫道具を貸してあげます」ということだった。

 夕食のとき、ペアレント(ユースのオーナー)が、「皆さんはラッキーですよ。ちょうど明日から京都御所の一般公開が始まるんです。この機会にぜひ訪れてみて下さい。普段は入れませんからね」と言った。翌日、一番に京都御所に行った。立派な建物と庭園だった。それから、一日かけて、自転車で京都市内の名所を巡った。京都は狭いので、自転車での移動がとても便利だ。夕方近くなり、広隆寺の弥勒菩薩を見に行った。門前で路面電車のレールの溝にタイヤを取られ、大転倒をした。

 目的地の京都まで来たわけだが、自転車で東京まで帰るのが嫌になった。そこで、自転車を運送会社を使って送り、自分は列車で帰ろうと考えた。ところが、梱包してないことを理由に、運送会社から断られた。仕方なく、大阪から徳島へ渡り、フェリーで東京まで戻ることにした。大阪の市街を走っているときに、前後のタイヤがほぼ同時にパンクした。やはりもう限界だという気がした。

 現在は無いようだが、その当時は大阪と徳島を結ぶフェリーがあった。徳島港に着き、東京行きのフェリーに乗り換えた。今に至るまで、この徳島港が、私にとって唯一の四国の地である。

 フェリーが晴海に着き、また自転車に乗った。都心を通過して、国分寺まで戻った。この行程も、ずいぶん長そうに思えて気が重かったが、実際にはあっけないくらい短かった。

 ところで、嵐山のサクラがどうだったかは、覚えていない。

 
 

ーーー4/30−−− 新作の椅子


 この春、新作の椅子に取り組んだ。大竹工房の椅子のラインナップには無かった、ハイバック・チェアである。これまでは、アームチェア06にしろ、Catにしろ、ピアスにしろ、背もたれが低い、いわゆるローバック・チェアであった。

 まず、何故これまでローバックばかり作ってきたかということを述べよう。椅子の機能としては、ローバックで十分だという判断があった。ハンス・ヴェグナーの椅子も、ほとんどがローバックである。素人から見れば、背もたれが腰のあたりにあるだけでは、何となく不十分だと感じるかも知れない。しかし実際は、腰の少し上の部分を、一点で支えるだけで十分なのである。その上の、背中をサポートする構造は、必要ない。もちろんそれは、ダイニング・チェアや、事務作業用の椅子の場合である。安楽を求める椅子では、背中や、さらに後頭部を支える構造が必要になる。しかし、日本の家庭で普通に使う椅子は、ほとんどがダイニング・チェアや、事務作業用の椅子である。

 低い位置のサポート一点で支えると言うのは、積極的なメリットがある。座った状態において、腰から上の自由度が確保されるのである。これが、腰と背中の二点での支持となると、却って体が拘束される。さらに、背中全体をすっぽりと包みこむようなサポートだと、身動きが取れなくて逆に疲れる。映画館の、包み込まれるような椅子に座って、映画一本を見る間に、体の向きを変えたり、足を組み直したりして、姿勢の調整をせざるを得ないのは、そのためである。

 さらにローバック・チェアは、座る人の身長による座り心地の差が、出にくいと言うメリットもある。座面からサポートまでの高さの差が小さいので、体格の影響を受けにくいのである。身長の差が20センチあっても、この部分の寸法差は3センチ程度である。座面の最適高さは、身長差を無視できないが、ローバックの背もたれは、身長の差をカバーできるのである。

 また、ローバック・チェアは、背もたれが食卓の上に少し出る程度の大きさである。日本の家屋は、部屋が狭い傾向にあるので、空間を圧迫しないという意味でも、ローバック・チェアはメリットがある。

 これらの理由から、私はローバック・チェアで十分であり、それ以外の物は作る必要がないと思ってきた。ところが、たまに展示会などで、背もたれの高い椅子が欲しいと言う人たちがいた。いくらローバック・チェアのメリットを述べたとしても、好みの問題は超えられない。たしかに、背もたれが高い方が、椅子らしく、立派に見えると言われれば、それも一理ある。そこで、いつの日にか、ハイバック・チェアを作りたいと思うようになった。作品のバリエーションを広げるということは、いずれにしろ好ましい事ではある。

 きっかけとなったのは、一昨年に作ったベンチだった。そのベンチは、背もたれを高く設定した。見た目の豪華さを実現したかったからである。ベンチは、ダイニング・チェアなどと違って、生活必需品のジャンルに入るものでは無い。置く場所の広さも必要となる、いわば贅沢な趣味の世界である。また、座る際の姿勢の自由度が大きいので、一人がけの椅子ほど厳密な座り心地は要求されない。従って、あまり深刻にならずに、計画が出来る。背もたれは、華奢と感じるほど細目のスピンドルにした。この背もたれ、角度はそれなりに座り心地を考慮したが、腰の位置の一点でサポートするなどという事は度外視した。椅子の性格から、そのような事は考える必要が無いと判断したからである。

 出来上がったベンチは、評判が良く、展示会でお客様に購入して頂いた。そのベンチはナラ材で作ったが、昨年の夏、第二弾として、ブラック・ウォルナットで作ってみた。これも評判が良かった。私の作風である曲線の構成に、ブラック・ウォルナットの質感が実に良くマッチした。その形態的な美しさから、これを利用してハイバック・チェアを作れないかと思い立った。つまり、ベンチの巾を小さくして、一人がけの椅子にするというアイデアである。いつの日にか作りたいと思っていたハイバック・チェアが、現実味を帯びてきた。

 注文仕事が一段落したこの2月末、ハイバック・チェアの計画に入った。座面は、アームチェアCatの図面を流用して、クッション座にすることにした。座枠にクッションがはめ込まれるタイプである。Catの図面と、加工治具があるので、だいぶラクができる。そしてとりあえず、背もたれはスピンドルにしてみた。

 部材は、一番大きい後脚用の板が、厚さ65ミリ、幅190ミリ、長さ1100ミリの物が二枚必要である。このサイズの板は、簡単には手に入らない。しかも高価である。木材倉庫の中に、使える材はあったが、失敗してオジャンになるかもしれない試作品に、高価な材は使いたくない。そこで、数年前に近所の農家から貰ったコナラ材の厚板を使うことにした。貰った当時は乾燥が不十分だったが、現在では使える程度に乾いている事を、含水率計で確認した。

 試作椅子を組み立ててみたら、やはりスピンドルでは背の当たりが良くないと感じた。そこで、一枚の幅広の板を加熱して曲げ、腰のあたりのサポートを強調できる形状の、板状の背もたれに変更することにした。同時に別バージョンとして、正面がフラットで、やはり腰部のサポートが確保される形状の、フラット・スピンドルを使ったタイプも検討することにした。

 文章で書けば、何という事も無く事態が推移するように感じるだろうが、実際には様々な部分の寸法や角度を決めながら、試作は進められる。そして、座るという機能に加えて、見た目の美しさも実現しなければならない。これらは、実は大変な作業である。個々の部分を決め、さらに全体との関連を整えて行かなければならない、行ったり戻ったりの繰り返しである。直観と忍耐が必要とされる作業である。例えるならば、はるか遠くの山頂を目指して登るようなものである。しかも、山頂に立てる保証はない。しばしば、挫折しそうな不安に襲われた。

 コナラの試作椅子は、二種類の背もたれを試せるように工夫した。そのおかげで、試作椅子を二脚作る必要は無かった。試作品が完成し、実現の目途が立ったので、本番の製作に移った。材はブラック・ウォルナット。在庫は無かったので、長野市の材木店へ買いに行った。

 試作品のデータを使って図面を描き上げ、型紙を製作した。その図面と型紙を使って、本番の製作を行った。出来上がった作品は→こちら。椅子の名称は、SBチェアとなっているが、これはSlat Back(板背)とSpindle Backにかけて付けた、暫定的なものである。いずれそれぞれに、相応しい名前を与えなければならないと思う。コナラの試作品も、画像をアップしてある。材種の違いによる差を見てもらいたいからだ。なお、コナラの椅子は、背板が取り外せるようになっている。曲りを変えた背板に入れ替えて、背の当たりをお客様の好みに合わせて、確認して頂けるようにした。この板背にしろ、フラット・スピンドルにしろ、お客様がご希望すれば、背もたれの曲線を個別に調整して作ることが出来る。その点が、ローバック・チェアとは違う、構造上のメリットである。もっとも基本的には、腰部で支えると言う点で同じだが。

 コナラの椅子は、試作品であるから販売することはない。自宅の居室で、私が座っている。試し使いを兼ねているが、今のところ問題は無い。



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